『あるヨギの自叙伝』スリ・ユクテスワの復活

『あるヨギの自叙伝』は何度でも読み返したい名著だ。
インドに生まれ実在したマスター・ヨガナンダによる自身の生涯を記した魂の書だ。

ヨガナンダが彼の敬愛する師スリ・ユクテスワとの別れをどのように感じ、乗り越えたのだろうと、あらためて読み返してみた。

師の死を、ヨガナンダは人としてまっすぐに悲しんでおられた。彼の心は悲嘆の中で泣き叫んだ。
その記述を読み、ああヨガナンダでも肉体の別れをこれほどに悲しむんだ、となんだかホッとした。人として当然なんだ、と思える感じがした。

精神世界に生きる人たちの中には、「死」を新たな旅たちとして祝福する捉え方もある。
この世での「学び」「修行」を終えて、また魂のふるさとに戻るというのだ。そこには、魂の家族たちが迎え、ねぎらってくれるという。

キリスト教的な考え方だと「天国」には天使が居て、そこに来るものを祝福し、香しい花や音色、光に溢れたそれは美しいところだとする。意図したことは瞬時に叶い、みな愛にあふれた平穏な世界。

仏教的な考え方では、魂は悟りをひらくまで輪廻転生を繰り返すという。この世は修行の場であり学びの場である。学んだことをあの世に持ち帰り、振り返って、またこの世であらたな学びをするのだ。

どちらの捉え方も、この世界での生を終えたら、別の世界に魂は存在し続け、そちらの世界の住人になると捉えている。彼らは、自分自身にぴったりの新たな世界観の中で存在し続けることになる。

自分が愛にあふれていると思うなら、そうした世界に存在することになり、
悲嘆や苦しみの中に居続けるなら、そうした世界に存在することになる。

スリ・ユクテスワは肉体を脱いだ後にヨガナンダの前に現れ、死後の世界を詳細に語っている(『あるヨギの物語』第43章 スリ・ユクテスワの復活)

その世界は非常に興味深い。

彼らの住む世界は「幽界」と呼ばれ、シータヒーリングで言えば第4層にあたる。
そして、シータヒーリングでも教えているように、所属する存在の波動によって、住み分けられていているらしい。それはちょうど、地球上で地上や地中、空といったように住み分けられているのと同じように領域が決まっているのだ。それは、地上の世界よりも光に溢れて美しい。

たぶん、映画「ゴースト」で描かれているように身体も周りも光を帯びているような、そんな状況なんだろうと思う。

また、この世界よりも意志の具現化が容易に行われるようだ。制限がなく、争いもない。光の中で自由な創造を楽しんでいる。感覚器は5感よりも第6感(直観)を通して経験している。

そして、ココが嬉しい箇所だった。
『過去世において友達どうしだった者は、幽界ですぐにお互いをそれと見分けることができる。彼らは友情の不滅を喜び合い、地上で死別したときに悲しみとともに疑った愛の不滅性をあらためて悟るのだ。』

魂の友達、すなわちソウルファミリーやソウルメイトは、すぐにそれと分かる、と。

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時間が経って、肉体の別れは本当の別れではないと、心底感じている。
だから、”一緒にいたい、離れたくない”といった感覚も、3層特有の幻想なんだと思う。

4層の存在たちは4層の世界を選択し、5層の存在は5層を体験している。
いつでも私たちは光の道を使って、さまざまな次元や場所と繋がることができる。
そして、いつもシータのクラスで言っているように、すべての存在たちはあの無条件の愛の光のひとつなのだという感覚が私の中に拡がってくる。