おなかにさわる~素粒子レベルでの共同創造

グラデーション

呼吸について習ったことがある。

息を吐く状態から、吸う状態に移り変わるところをさらに細かく繊細にみていくとどうなるか。

思考で考えてみると、「吐く」と「吸う」には決定的な差があると思うかもしれない。
二酸化炭素を排出する行為と、酸素を取り込む行為。
肺がしぼんだりふくらんだりする様子が思い浮かび、化学式が頭に浮かぶ(笑)

それはまるで「黒」「白」と同じような二極化だ。

でも、本当のところはどうだろう?とその先生は問われた。

もっと、「吐く」と「吸う」のその変わり目に意識を丁寧に丁寧に向けてみる。

すると、「吐く」と「吸う」の間には切れ目がないことに気づく。

まるでグラデーションのような世界。
二極化ではなく、その間も存在している在り方。

二極化の枠に当てはめようとした途端に、それは「そのもの」ではなくなってしまう。
当てはめるのではなくて、ありのままがわかる感覚。
この感覚を研ぎ澄ましていくと、あらゆるところに、同じ感覚を発見することができる。

彼女のチネイザンの施術を受けていると、
この呼吸の感覚を思い出す。

彼女の手を構成している素粒子と
私のおなかの皮膚を構成している素粒子が

離れたところから近づいて、近づいて・・・
そして、まだ触れていないけれども
彼女の手のエネルギーを感じ
私のエネルギーと交じりあうような感覚

お互いのエネルギー(素粒子)がグラデーションのようになり
100%の彼女でもなく100%の私でもない、混ざり合った不思議なエネルギー

そのエネルギーが一瞬つくられたあと、
実際に彼女の手のひらが、私のおなかを触れるのだが

その瞬間にはすでに私のおなかの細胞たちは、彼女の手のひらのエネルギーを知っていて
なんならもう、素粒子を受け取っていて。


だから、あたかも自分の一部がおなかに着地したような
そんな不思議な感覚になるのだ。

とても乱暴な言い方をしてしまうのなら
ただ「おなかにさわる」という行為なのだが
実は素粒子レベルでの共同創造であり

お互いに信頼し受け入れ与えることをゆるしてこそ味わえる
最高の共同創造なのだと思っている。

着地の後は、もうお任せだ。
彼女の手が私の内臓すべてを感じて、必要なことをしてくれる。

私は、ただ安心して、いつも眠るだけだ。

チネイザン★腸が元気になるとココロとカラダも元気になる

https://ameblo.jp/heartsmile2014/

橋本恵美 チネイザン